関西人のたわ言《2003年》 2004年→

恣意的な会計手法(2/2) 2003.05.24(土)
 税制の大原則として利益への課税と言うものが存在しており、よく考えれば解るように儲かっていないところから税金は取らないし、払った以上の税金は還付できないのである。つまり繰延税金資産は、利益(課税所得)が発生して初めて意味を持つ資産なのである。現在金融庁は、銀行の繰延税金資産の計上の上限を「今後5年間に見込まれる課税所得の累計額に約40%の実効税率をかけた額」としているため、ほとんどの銀行が得意の横並びで5年分を計上している。
 しかしながらこの5年と言う年数に対して「りそな」で問題が発生した。5年先が見通せず、現状では3年分の計上しか認められないと監査法人は決算監査で意義を申したてたのである。そもそも5年先の課税所得を誰が理論的に算出出来ようか?この指針無き恣意的な会計方針が問題の根源にある。これまで日本の会計原則は「保守主義の原則」の色合いが非常に強く、見込まれるもっとも悪いシナリオの分しか資産を認めず、最も厳しく見込んだ負債を計上するという姿勢をとってきた。金融機関の行き詰まりに際して小手先業で「繰延税金資産」などイカサマ臭い資産計上を認めてしまった恣意的な行政が今回の「りそな」問題を引き起こしたと言っても差し障りはないであろう。
 現在、竹中経済財政・金融担当相は「銀行の繰延税金資産の自己資本への算入上限を米国並み(1年)に引き下げる」ことに関して、自民党や経済界からの激しい抵抗が予想されていることから踏み込んではいないものの、銀行サイドからは「規制だけを米国並みにするのはおかしい」と早々と反論も出ており、最終決着までの議論は難航しそうな状況となっている。

恣意的な会計手法(1/2) 2003.05.23(金)
 最近新聞紙面をにぎわす税効果会計とは、企業の財務会計上の利益と税法上の規定で計算される課税所得との間にズレが生じた場合に、その差を調整する会計手法を指す。「土地再評価差額金」と同様に銀行救済の意味合いが強いこの会計方法は1999年3月期から本格的に導入が認めらた。
 利益と所得のズレは、不良債権の前倒し処理にともない貸倒引当金を積み立てた場合などに起こる。つまりその貸倒引当金繰入は、会計上は「費用」であるが、税法上は実際に損失が出ておらず、あくまで引き当てであることから「損金」とはならず、課税所得から控除されない。すなわち、積み立てた時点では有税(税金を払う必要がある)であるが、債権回収が不能となり、実際に損失が確定した時点で「損金」となり、その期の税金が減少(税金が戻ってくる)仕組みの事を指す。
 銀行はこの税効果会計を利用し、将来還付される見込みの税金を、あらかじめ「繰延税金資産」として貸借対照表に資産として計上することで、「税効果資本」(未実現の資本)としてその分自己資本をかさ上げしている(というか、そうする様に大蔵省から指導を受けている) のである。日本銀行の統計によると、全国銀行ベースの繰延税金資産は、2002年3月末で約10兆6,600億円となっており、これは自己資本の約4割を占める量に上っている。また大手銀行ベースでは、繰延税金資産が8兆円強となり自己資本の約半分に達している。

家業から事業への転換(3/3) 2003.05.18(日)
 伏線は本年の2月末にありました。2月21日午後6時55分、石橋信夫氏は肺炎のため石川県富来町の病院で御亡くなりになります。市場関係者は、これで「おやじ」の呪縛が解けたから大和ハウス工業は大型の損失処理をしてくるはずと考えましたが、その時期は「いなくなったらすぐやるんか」という疑問が大勢を占めており、早くても2004/3期(来期)だろうと見ていたのです。しかし、まさかの4月30日に決断が下されました。
 樋口社長は「正しい決断をした、おやじも許してくれるだろう」とコメントし、正に断腸の思いであったことをアピールしました。会計基準が厳格化される流れに逆らえなかったと言う理由があるにせよ、経営権が創業家から経営陣に移ったことを印象付ける出来事でした。

 実はこの話には後日談があります。会社の決断からしばらくして2003/3期決算を5月20日に発表するという会社側のリリースに加え、説明会は7月に行うという通達がアナリストの元に届きました。発表の当日からせいぜい1週間以内に説明会が開かれるのが普通であるのに7月というのは異例中の異例です。7月という意味は、すなわち、株主総会が終ってからということに他なりません。いまだに大株主に違いない創業家に対して釈明をして禊を済ませたいのか、はたまた社長は自らの首と引き換えに大鉈を振るったのか、実情が気にかかるところです。社長になるのが夢であった樋口社長は、身を引いて忠興の祖となることになるのか、今後も社長を続けるのか、大和ハウス工業は今後も目が話せない企業と言えましょう。

家業から事業への転換(2/3) 2003.05.17(土)
 何故大鉈が振るえないのか?誰しもがまず抱く疑問です。大和ハウス工業は昭和30年に創業された住宅メーカーでした。戦後の住宅不足に悩んでいた当時、工場生産した部材を現地で組み立てると言うプレファブリーク(プレハブ)工法は注目を集め、その後の営業展開の効果もあり会社は年商1兆円を超える規模に成長しました。この礎を築き、営業の総指揮を取っていたのが、創業者でもある石橋信夫氏でありました。独特の経営哲学を持ち「おやじ」と呼ばれた石橋氏は絶対的な指揮官でありました。寄る年波から社長を引退し会長となった後も、絶大な存在感で経営陣の上に君臨し、病床に入ったあともその威力を継続するほどの人物でした。そんな石橋氏が興した観光事業を切り捨てることなど誰にも出来なかったと言うのが事実でありましょう。
 しかし、冒頭で触れたように大和ハウス工業は700億円を超える観光事業の減損処理を行い、事実上観光事業が失敗であった事を認める決断に至るのです。特に本業が行き詰るような事も無いし財務体質も堅牢で経営に何ら問題はなかったのに何故大鉈を振るえたのか・・・。

家業から事業への転換(1/3) 2003.05.16(金)
 大和ハウス工業は4月30日に2003/3期の業績修正を発表し、最終利益が1000億円近い大赤字に転落する事を明らかにしました。これまで「企業は利益を出して税金を納めてなんぼのもんである」と豪語してきた大和ハウス工業にとって初の赤字転落、それも1000億円というのはただならぬ状況です。生活総合産業を標榜してきた大和ハウス工業は、主力の住宅事業の他にも、有効利用を望む土地オーナーと事業用地を探す流通店舗業者を仲介するロックシステムと言われる斡旋仲介業(当然その後の工事は大和ハウス工業が請負います)、リフォーム用の建材や部材を販売するホームセンター事業、マンション管理事業、ホテルとゴルフ場を中心とする観光事業などがあります。
 近年の不況の影響でゴルフ場の経営が行き詰まり、観光事業においては収益が出ない状況が続いておりました。現在の会計システム上、収益の出ない事業用資産(土地・建物)は適正な価格まで簿価を見直す(引き下げる)ことが求められております。これが「減損会計」なのですが、大和ハウス工業はこれまで数期に渡り減損を処理してきました。一般の会社は一時的には赤字になってもいいので、いけてない事業からは大胆に撤退し減損も大幅に実施するなど、「今回は赤字やけど次からはきっちり稼ぎまっせ」と積極的な行動に出るのですが、大和ハウス工業の場合、当然赤字にならない範囲内で行うわけですから、ちびちびとやるほか無く、株式市場は「いつまで続くんや」「なんぼあんねや」と極めて否定的な見方が台頭しており、評価は低く落とし込まれていました。

銀行の御都合主義とゼネコン処理(3) 2003.01.23(水)
 銀行は、長谷工への第2回債権放棄の秘策として「貸付金」を「出資」に振替える、デッドエクイティスワップを実施する腹積もりを決定しました。ただ、独占禁止法の関係で銀行は企業の発行済み株式の5%以上の株式を保有する事は出来ません。デッドエクイティスワップを行うと、大和銀行、中央三井信託、日本興業銀行の持分はそれぞれ10%を超えてしまいます。
 この問題に銀行が困っている時、「産業再生法」というほとんど使われてこなかった法律が「使える」という情報が国土交通省からもたらされます。この法律の適用会社は独占禁止法の5%制限が解除されるというのです。早速、長谷工は産業再生法の適用申請を行い、出資を受け入れ事実上2回目となる債務免除劇は終了します。銀行の先送り体質はこの時も残念ながら発揮されてしまったのです。一説には、銀行では先輩の行った方法を否定できない慣習があると言われていますが、詳細は定かではありません。
 そしていよいよフジタ、ハザマ、熊谷組が2回目の債務免除を行う事態がやってきました。フジタの場合あまり有効な手段がありませんでした。そんな中で銀行は、債権放棄行わず実質的に債務免除を行うウルトラCを発案します。それが分社化なのですが、その詳細は次回に譲ります。

銀行の御都合主義とゼネコン処理(2) 2003.01.21(火)
 しかし残念なことに景気はますます悪化し、債務免除を受けたゼネコンは押しなべて受注確保が難しく、まず青木建設が破綻します。青木建設は一時は世界に名だたる「ウェスティンホテル」を買収し意気洋々でしたが、再建途上で切り売りをせざるを得ず、最終的には大阪ウェスティンだけが残りました。その後、佐藤工業、日産建設と破綻は続き、身動きが取れなくなった長谷工と飛島建設は再度の債務免除を要求します。
 先送りが得意な銀行は、この要求を飲むことにしますが、ここで一つ問題が起きました。つまり「銀行の債務免除に2回めはない」という事が問題となったのです。なぜなら、株主に対し一度目の債権放棄時に「この再建計画があるから必ず再生する、だから二度と債務免除をする必要は無い」と言い切っており、もし2度目の債権放棄が行われたりすると、それは銀行の見込みが甘かったことを認める事になり、株主代表訴訟が提訴される恐れがあったのです。
 だからといって債務免除に応じないとなると全損です。銀行の貸付残高は債権放棄時よりも積み上っているのです。それは1回目の債務免除以降も、追い貸しや準メインバンク以下の貸付を肩代わりして来たからに過ぎません。もし破綻となればその損害は計り知れない額になり、銀行自体の破滅にも繋がりかねません。そこで銀行は頭を捻り、飛島建設については、1回目は子会社飛島総合開発への飛島建設の「債務保証」を免除したことを思い出し、今回は飛島建設本体に対して債務免除を行うというスキームで挑みます。長谷工についてはもう一段のハードルが横たわっていました。

銀行の御都合主義とゼネコン処理(1) 2003.01.20(月)
 先週末ハザマ(間組)が会社分割で企業再生を図ることを発表しました。そもそもこの企業分割のスキームを発明(?)したのは何を隠そうフジタですが、当時は大変冒険的なスキームでした。どちらかというと「通らばリーチ」で、大量の念書を裏に抱えこのスキームは生まれました。
 分割が決定された、フジタ・ハザマに共通する点は、@高い施行能力を持っていることと、建設需要が縮むと見込まれた1980年代後半に、A受注拡大のために不動産開発事業(造注)に手を染め、地価の下落の中でそれが不良資産化し、Bにっちもさっちもいかなくなったという不幸な歴史です。ゼネコン業界の行き詰まりを紐解くと、1997年以降、東海興業、多田建設、大都工業が破綻する中で、多額の借り入れと不良資産を抱えたゼネコンは、銀行に対して債務免除要請を行い、飛島建設、長谷工、青木建設などと共にフジタ、ハザマ、熊谷組にも債務免除が行われました。
 債務免除が成された背景には、一部分でも棒引きに応じないことには、融資先企業が破綻し全ての貸し金が焦げ付くと恐れた金融機関の「弱腰姿勢」と「先送り姿勢」があったと思われます。1980年代後半に、無理に貸した手前もあり、むげに「返せ」と迫る訳にも行かず、もしかしたら景気回復に伴い貸付を返済してもらえる可能性もあると考え、債務免除を実施したのでしょう。当時の大蔵省は有税償却で行うならばと、これを黙認しました。ただ、黙ってなかったのが銀行の株主です。株主は「何故棒引きか!」と迫りますが、銀行は再建計画がしっかりしており、ここで一部分を棒引きしておけば必ず貸し金は帰ってくる、今引き上げれば貸倒れしか残らない、と説明しました。
NINUKI.I.M